本当はジョギングですが

 旧江戸川マラソン日記

 著者が朝のジョギングに目にしたどうでもいいことを、思いつくままに語り流します。
 犬は苦手な著者であるはずが、結果として犬に関するテーマが多く見られる点が不思議です。

 場所:旧江戸川河川敷


※地域情報としては、まったく参考にならない内容です


【さて、旧江戸川】

 著者は、メタボリック予防と係留ボート見学と野良猫に会いに行くために、朝の軽いジョギングを日課としている。題名には「マラソン」と書いているが、3歳になる長男が「とーたんマラソン行ってらっしゃい」と言ってくれるので、そういうことになっている。

 旧江戸川は、東京都江戸川区と千葉県市川市の都県境に位置する一級河川。ずーっと川を下っていくと、東京ディズニーランドに架かる舞浜大橋まで至るはず。TDLまで走り、入場券さえ購入すれば、ミッキーは笑顔で迎えてくれる。(そんなとこまで走ったことないけど。)

 堤防が散歩コースにちょうどいい。河原には緑の芝生が広がっている。野球をするには狭いが、ゲートボールをするには少し広い。駅から非常に遠く、江戸川区の中でも特に静かな環境。散歩中に出会う人たちも(犬を含めて)ほぼ固定。ちょっとマイナーながらも、地域の人たちに愛されている川です。


  【犬が苦手な件について】 ←東京新聞「300文字小説」に入選!図書カードありがとうございました m(_ _)m


【篠田堀の不思議な石像?】

私は犬が苦手だ。幼少の頃に吠えられたり、かまれたりしたことの影響らしい。

ある朝のジョギング中。公園内のせまい歩道。突如、私の前方に、ご主人と一緒に散歩中の、柴犬の後ろ姿が目に入ってきた。

こういうシチュエーションは苦手だ。私はなぜか決まって吠えられる。

追い越し車線に入りながら、忍者のような走り方で、そーっと、犬の横を通り過ぎる。気づかれないように。

今、まさに真横を通過しようとした時に、犬が「びくっ!」と、私と反対の方向へ、横っとびに驚いた。私も、犬の予想外の反応に「うおっ?」とサイドステップを踏んだ。

後ろを振り返ると、目を丸くして「あー驚いた」という顔をした犬がいた。
少し親近感をおぼえた。


  【猫好きな件について】


【篠田堀のせせらぎ】

私は、どちらかというと猫好きのジャンルに分類される側の人間であるため、散歩途中にノラ猫に出会うと、少々、心ときめいてしまうタイプである。

近寄って観察したいと思っても、猫サイドも用心しているので、ある程度の車間距離を保とうとする。少しずつ間合いを詰めても、3メートルくらいしか近寄れない。

もしも相手が猫ではなく犬であれば、逆にじりじりと間合いを詰められるほうの立場に立ちたくはないが、猫の警戒心はたいしたものである。

最近は、ハトが人間をまったく怖がらなくなったような気がする。都会のハトは、すぐ足下に近寄ってくるし、靴紐をつつかれるのではないか、と思うほどに気を許したハトとも良く出会う。それぞれの動物に、車間距離というか、射程距離、間合い、のような空間があるとおもうとおもしろい。人間だってそうだしね。

 

  【静かな犬もいた】


【清掃施設の大煙突】

吠える犬は非常に存在感があるし、あえて避けて通行する対象なのだが、中には静かな犬もいる。静かすぎる犬は、体の調子が悪いんじゃないかと、犬があまり得意でない私でさえ、なんだか心配になってくる。

ジョギングの帰り道。いつもは左手の紫陽花に気を取られて走っていたが、ふと気分転換に右手を見てみると、道の奥まったところの玄関横に犬小屋があり、中型の柴犬が一匹、ちょこんと座っていた。おやっと思って少し立ち止まると、先方もこちらをじっと見返していた。

あれ?こんなところに犬ポイント(注意:私はジョギングする上で危険なポイントをこう呼んでいる)があったっけ?と思った。でも、この犬は吠えないし、いきなり吠えられることで私が驚いて車道に飛び出して車にひかれる恐れもないので、犬ポイントの対象外とした。今日は元気がなさそうだけど、明日になれば、元気になるかな。またのぞいてみようと思った。

 

  【河原の芝生、雑草の件】


【旧江戸川の水門の一つ】

夏になると、河原の芝生も草がたくさん茂り始めるので、毎年6月頃に、業者さんが芝刈り機で草を刈る。子供の身長くらいの高さの草が、昨日まではそこにあったはずなのに、今日はすっかり刈り上がっていて、ちょっとだけ寂しい気分にもなる。でも、2、3日もすると、地面からは新しい草の芽が元気よく生え始める。

雑草というのは正式名ではないけど、雑草だってよく見ると、かわいい花を付けていたりする。名も無き雑草と思うのは、見る方であって、ちゃんとした学名がついていることもあれば、薬用に煎じて飲むことができるものや、お餅に入れて食べる「よもぎ」も生えていたりする。葉っぱの陰にテントウムシがついていたり、その先に群集していたアブラムシに驚いてみたりする。

草がある程度、生えていると、その上を走ろうとすると、草を飛び越えるように足を高めに上げながら走るので疲れたり、小さな花を踏まないようにと気を使ったりして、これもまた疲れる。草は踏まれても、また生えてくる。力強い。

話は変わって、人間。年間の自殺者は3万人を超えて、増加傾向にあるという。それぞれに事情があるとは思うけど、太陽と水と土があれば、刈り取られても、踏まれても、それでも立ち上がってくる草の生命力を参考にしたい。(では、毎年、夏に台所に現れるゴキブリの生命力は・・・あまり参考としたくない)

 

  【あじさいの季節に】


【旧江戸川を望む】

6月も中旬に入ろうとしていた頃。もうそろそろ梅雨が始まる。雨が降ると、さすがに朝のジョギングも休みがちになる。それでもどうしても走りたいときや、体重計に乗ったら「こりゃ走った方がよいかな」と思ったときは、無理して走るけど、あまり体にも良くない。梅雨は湿気も多い。ランナーには好条件だけど、散歩がてらにジョギングしたいおっさんにとっては、どちらかというと不向きかもしれない。

6月に咲く花と言えば、紫陽花(あじさい)。とくに咲き始めの頃の紫陽花の花はきれい。ちょっとした人口の緑道公園が近くにあり、小川が流れている。その上に垂れかかるように咲いたあじさいの花と大きな葉っぱが、さやさやと流れる水にしっとりと濡れていたりする。うすむらさき色のあじさいの花が、よりいっそうみずみずしく感じられる。

ちなみに、ベトナムの女性が来ている衣装で「アオザイ」というものがあるけど、私は長い間「アジサイ」だと思っていた。昔、英語を話す機会がありその話題がでた時も「アジサーイ」とはっきり発音しており、でも、相手の米国人にも「オーアイノウ」とか言われていたので、先方も誤解して覚えていたのかもしれない。

 

  【びっくりした!犬】


【水門を開ける装置】

誰も聞いていないと思いながら勝手に書いているわけだが、私が小心者であるために、吠える犬が苦手であることはすでにお話ししたが、最近、その件で、命を落としそうになったことがある。

いつものように、何の精神的準備もせずに、ごく普通にゆったりペースでジョギングしていると、ある家の玄関先から犬が吠えかかってきた。私は「うわ!」と驚き、とっさに2歩ほど飛び退いてしまったのだが、そこに後ろから自家用車が走り込んできた。「うおっと!」と必死に身をかわすおっさんの私と、「あぶねえだろう馬鹿野郎」とクラクションを鳴らして、ブブウと通り過ぎる車。ちょっと心臓がドキドキした。危うく車にひかれるところだった。

もしも私が身をかわしていなかったら、犬は動物裁判所で「傷害致死罪」に問われて禁固刑以上、執行猶予3年は確実だっただろう。

お互いに不幸にならないためにも、飼い主は、犬のしつけをしっかりとしていただき、人が近づいても吠えないようにするか、玄関先から少なくとも100メートル離れた場所に犬小屋を設置する等の措置が必要だ。

 

  【夏、花火の後始末】


【あると助かるトイレ】

夏である。花火の季節だ。隅田川花火大会を始め、関東地方のそれぞれの川では、大きな打ち上げ花火大会が企画される。隅田川花火大会は非常に混み合いまともに見たことはないけど、いつかNHKの「ドキュメント72時間」という番組で、神宮球場の花火大会の特集が放映されていて、楽しみにしている人たちの様子を見ながら、ひとり感動した記憶がある。

河原では、大きな花火ばかりではなく、小さな花火をする人たちもいる。かわいい線香花火から、小型の打ち上げ式、吹き出し式の花火など。夜の河原は真っ暗なので、さぞかしきれいなのかもしれないが、ゴミの後始末だけはしっかりしてもらいたい。打ち上がったパラシュート花火の燃えかすや、ヘビ玉の焦げ跡、吹き出し花火の筒などが、散らかしっぱなしになっている事も少なくない。さらには、ビールの空き缶や、買い出しの袋などのゴミ。河原を愛する人たちにとって、怒りを通り越して悲しさを覚えるかもしれない。

おっさんが怒鳴り込んだら、逆に「オッサン狩り」に合って返り討ちにあう事を恐れたので(気が小さい)、知事に頼んで条例をつくってもらう事も考えた。でも、厳しい法律をつくれば、犯罪は経るかもしれないけど、根本的には教育が大事だと思う。政府は学力の低下を憂えているけど、基本的なマナー力?の低下の方が深刻だと思う。

花火の後始末だけを考えれば、たとえば「花火メーカーは全て有機物質で製造し、ゴミは
土に帰るようにする」というのも手かもしれないけど、それは少し寂しすぎる。

 

  【犬と飼い主(比較的、余裕のあるときに観察)】


【野バラかな?】

早朝は自動車などの交通量が少ないため、散歩をするには都合がいい。人間、私も含めて、年を取ると目が覚める時間が早くなるのだろうか、早起きで散歩するひとは、団塊の世代の方々の割合が非常に高い気がする。感覚的には8割くらいが50代から60代の方だろうか。さらに、高齢の方になればなるほど、犬を連れて散歩をなさっている方が多いのに気づく。

犬の顔を見るのも楽しい。飼い主にそっくりな犬。しっぽを楽しげに振りながら小走りな犬。「お前、ぜったいに名前はムクだろう」という様なムクムクとした茶色い毛並みの犬。ライオンのように大きくて、トイレの始末が大変だろうなあと思わず飼い主に同情してしまうような犬。

いずれにしても、犬を連れている飼い主が、何となく楽しそうだという点においては共通している。「犬散歩仲間」どうしで挨拶をしている光景も目にする。「家族にかまってもらえないから、ペットに愛情を注ぐのか」という偏見を持つなかれである。動物と一緒にいることで、その人の人生が楽しくなって、その楽しさを周りの人に分けてあげられるのであれば、人生、それに越したことはないと思う。

 

  【旧江戸川の白鳥】


【背の低いひまわり】

近くの大きな川の防波堤沿いの道は、緑の芝生と空の青がきれいなので、私のお気に入りのジョギングコースになっている。川幅もひろく、小型船舶(ボートなど)も停泊している。ときどき、魚がはね上がる音を聞く。そちらを見ると、水面に波紋が広がりつつあるのが見える。清流と呼べるほどきれいな川では無いが、それなりに和みと親しみのある川である。

ある朝。いつものようにジョギングしていると、頭の上を横切るように、白鳥が飛んできて、すーっと低空飛行で水面を滑り下り、真っ白な翼をひと仰ぎして、川面に舞い降りた。白い犬のところでも話したが、川の風景が緑と青なので、白い色は結構目立つ。あれは白鳥ではないか?いや、こんなドブ川(失礼)にくるはずはない。しかしアザラシのタマちゃんの例もある。なぜに白鳥が?と思いながら。

よく考えてみると、大きさから見ても、白鳥とは言い難いかもしれない。白くてきれいな鳥は、全て白鳥だと思ってしまう私だったが、白く細い首を軽く引くようにして水面を滑るその鳥の姿は、私にとっては本当に白鳥のように見えた。

「白鳥のような鳥を見た。白鳥かもしれない」でもいいような気がしてきた。そんなわけで、なんとなく得をしたような朝だった。

 

  【楽しそうに遊ぶ犬を見て(犬自体が嫌いなわけではないと気づく)】


【たまにネコが座っている】

あいかわらず勝手な話だけど、吠える犬はあまり好きではないのだが、犬自体が嫌いというわけではない。NHKで放映されている「しばわんこの和の心」は今世紀史上もっとも好きな番組の一つだし。子供の頃に、追いかけられて、かまれた記憶があるせいだろうか。それもあるかもしれない。

いつもの定番ジョギングコースに、防波堤ぞいに緑の芝生が広がっている場所がある。防波堤の上から、下の緑の芝生を見下ろすと、真っ白い犬が、飼い主に放されて元気に走り回っていた。

芝生の緑色と、空の青と、空の青を移した川の水面の青が、元気よく走り回る犬の白さを、いっそう際だたせていて、とても夏っぽい。わんちゃんも楽しそうで、じつにほのぼのとした感じである。

ただし、だからといって、防波堤を下りて、下の芝生へ行こうという気持ちは起きない。万が一、追いかけられてかみつかれるのではないか、という一抹の不安から抜け出せない。安全な場所から眺めているのであれば問題ないのだが・・・。気の小さい私である。

 

  【朝のネコは眠そう】


【見た目は非常にそっけない】

朝の散歩の途中で、猫を見かけるときがある。ジョギングしながら、積極的にネコサーチをしているせいかもしれない。たいていは、朝早い時間なので、猫の方も眠そうである。もしくは昨夜はねずみ取りに奔走したために少々寝不足なのか?あるいはねずみ取りなんて最近は流行しておらず、別のことに夢中だったのかは定かでないが、そうじて朝の猫は眠そうだ。

私はどちらかというと、何度も(勝手に)申し上げているが、犬より猫の方が好感が持てる気がする傾向にある。犬は吠えるが、猫は吠えない。自由気ままに歩き、好奇心にあふれている。ヒトにはなつかず、その場所自体を好む。なんとなくプライドが高いようだが、大好きなもの(エサとか)にはめっぽう弱い。

三つ指をついて正座しているような猫の仕草。目で私を追いながら「元気ですね」と言ってくれているような気がする。猫の座っている場所は、ほぼ一定している。暖かいマンホールの上だったり、駐車場の車止めの上だったり。

軽くジョギングをしているおっさんの私に対して、数字の3を右に倒したような口で、にゃーと、そんな感じに、なんとなく挨拶してくれているようだ。

 

  【旧江戸川の鳩】


【山吹色の花】

電信柱と低層住宅をつなぐ電線の上に、いつも決まって、とまっている鳩(はと)が3羽、いる。私はジョギングでその下をくぐり抜けるのだが、3羽のとまっている位置が、微妙に、1羽と2羽、という感じがする。ほんの2,3センチくらいであるが、明らかに、2羽と1羽の間に距離を感じた。

2羽は、ガールフレンドとボーイフレンドで、もう1羽はその共通の友人?もしくは、3羽とも幼なじみで親しい友人同士でいつも一緒に遊んでいたけど、成人式を過ぎたあたりから、男女の仲を気にするようになり、微妙な三角関係が連ドラ的に発展中?すこし離れた1羽の目は、寂しげで、とおく北の空を見ているような気がしなくもない。

毎朝、そんな光景を目にしている内に、寂しげな1羽には、幸せになって欲しいと思うようになった。いつの日にか、どこからかもう1羽が飛んできて、4羽になるか。あるいははぐれた1羽が別の恋人を探しに北の空へ旅立つ日が来るのか。がんばれ!おっさんは君を応援しているぞ。

 

  【犬と仲良くなる課程について】


【係留中のボート】

不惑を迎える年が近いづくにつれて、朝早くに目が覚めるようになった期がする。トシのせいかもしれない?などと思いながらも、まあとりあえずはせっかく目が覚めたんだしと思い、三文の得を探しにというか、棒に当たりに行くことを期待して歩き出す犬の気持ちで、冬はジャージ、夏は適当な短いズボンに着替えて、朝の散歩と洒落こむ。(さほど、おしゃれでもないけど・・・)最近は(←6月の話)、日の出も早くなったので、梅雨前、気持ちのいい朝の空気だ。

朝の散歩を始めたばかりの頃は、朝の散歩コースで、玄関先で私と目を合わせると、きまって吠え始める犬がいた。犬のポイントは3カ所あるが、そのうち1カ所の犬が、歩き始めて半年で、吠えなくなった。2カ所目の犬も、つい最近、吠えなくなった。それどころか、なんとなく目で「おはよう」と言っているかのようだ。

でも、最後の3カ所目の犬様は、いまだに私が近づくと、堰を切ったダムのように吠えたててくる。この犬が吠えなくなったら、きっと、なにか良いことが起きそうな気がしてならないと思いつつ、やはり吠えられると一日の運が下がるというか、なんとなくいやなので大きく迂回して走ることになり、結果として仲が悪いままだ。

 

  【階段をおりたら「犬」】


【旧江戸川の看板】

天気の良い秋空の朝。堤防沿いにジョギングをしているところ。堤防の上からだと景色も良いので気持ちよい。堤防から河原の芝生までは目の高さくらいのコンクリート塀があり、それを越えるための階段が備え付けられている。天気も良く、芝生を走るほうが気持ちが良さそうなので、階段を小走りに駆け上がって、むこうがわへ下りたその時。

急に、犬が、走りながら接近してきた。犬のむこうがわには、今さっきまでその犬をつなぎ止めていたリードを外したばかりの飼い主の姿。ちょっと事由にさせてあげよう、という気持ちでリードを外し、犬もさあ駆け回ろう、と喜び勇んで走り出したところへ、不運な私が階段をおりてきたらしい。

さあ困った。キビツを返して引き返そうものなら、犬のほうもなんだろう?と思って好奇心追いかけてくるに違いないことが、犬嫌い歴30数年の私には容易に察せられた。私はなにげに振り返り、犬が階段の下に到達するよりも早く、さりとてできるだけ焦りを見せずに、到達し、そのまま振り返り、芝生をいまきた方向と反対の方向へ歩き出した。

後方に犬の気配をヒシヒシと感じながらも、ここで走り出したら追いかけてくるのではないか、いやむしろジョギング姿なので走る方が自然なのではないか、はたして犬にそれが理解できるか、をとっさに判断し、結果としては、あたかも軽い気持ちで用事を思い出した時のように振り返り、そっと走り始めた。

猛りながら猛スピードで追いかけてくる犬のイメージを消し去り、ただ「走る」ことに気持ちを専念。やがて心持ちスピードが上がっていく。すぐ後ろに犬が追いかけてきていたらどうしよう、と思い、軽く振り返ると、犬はまったくこちらを気にせず、はるか後方で飼い主と一緒にしっぽをふりながら秋空の下で犬生を謳歌しているようだった。

ジョギング愛好家の心の安らぎのためにも、飼い主の皆様は、できるだけリードから手を放さないようにしていただきたいと思った。